2009年 12月 31日
Uplifters No.29 |
That’s just one side of me.
むかし日本のテレビで『スター誕生』というタレント発掘番組がありましたが、それと似た番組がイギリスにもあります。”Britain’s Got Talent”――タレント志望の素人が観客の入った会場で歌を披露し、その出来栄えを3人の審査員が評価するオーディション番組です。『スター誕生』でもそうでしたが、売りは審査員の辛口コメント。そのコメントが辛辣というか、悪辣に近い。とくに審査員長格のサイモン・コーウェル(Simon Cowell)というプロデューサーの批評が凄まじい。ときには人格否定のようなコメントが飛び出すことも。正直、そんなバッシング見たさに会場に行く人、テレビを見る人が少なくないようです。
4月この番組で、審査員の毒舌と視聴者の嘲笑にとって格好の獲物が登場しました。スコットランドのグラスゴーで開かれた地方オーディションでのことです。スーザン・ボイル(Susan Boyle)という47歳の女性が登場しました。ちょっと小太りの体型にボサッとした髪型、一度も手入れしたこともなさそうな太い眉、くぼんだ目にダンゴ鼻、そして野暮ったい服装と歩き方――演出でなければ、これほど「未来のスター」とかけ離れたイメージを具象化した本物を探してくるのは難しいと思わせるほどでした。
とうぜん審査員も会場も失笑をこらえます。歌を披露する前に審査員から一通りの質問が行われます。「夢は?――プロの歌手になることです」「目標の歌手は?――エレイン・ペイジ(イギリスの有名なミュージカル女優)」。ここで会場から非難ともとれるようなざわめきが起きます。
しかし、一番ざわめきが大きかった箇所は、「何歳ですか」と聞かれて、「47歳です」と答えた後のことです。その答えに、あのコーウェルが目を白黒させ、それに呼応するように会場が少しどよめきます。そんな会場の反応に挑むように、ボイルさんは腰に手を当てながら、お尻を不器用に左右に振り、こう言い放ちます。“That’s just one side of me.”(それは私のほんの一面)。その瞬間、会場がはじけます。応援の喝采ではなく、笑劇のときのばか笑いのように。
そんな雰囲気の中、ボイルさんが歌い始めます。選曲はミュージカル『レ・ミゼラブル』の”I Dreamed A Dream”。彼女が口を開いた瞬間、会場は静まり返り、最初の数小節を歌い上げたところで、猛烈な拍手と歓声が沸き起こります。その清麗な歌声は聴く者を圧倒しました。
当り前のことですが、容姿と能力はなんの関係もありません。しかし、現実の世界では、とくにショウ・ビジネスでは、そしてもっと言えば女性アーティストの世界では、容姿と歌唱力は不可分という「法則」が働きます。ボイルさんのパフォーマンスは、そんな「法則」の馬鹿らしさを、そして「法則」に囚われガチガチになった私たちのモノの見方を一陣の風のように吹き飛ばしてくれました。そんな爽快感、カタルシス(自己浄化)を味わわせてくれるからこそ、ボイルさんのパフォーマンスがインターネットの動画投稿サイトなどを通じて、わずか数日で世界中から3千万回もアクセスされたのでしょう。
私は、ボイルさんの歌の素晴らしさに感銘を受けましたが、それよりなにも一番気に入ったのは、実は今回のアップリフターに紹介したあの言葉を発した場面でした。嘲笑と侮蔑を覆い隠した顔つきの審査員と会場の参加者に向かって、ちょっとコミカルに腰を振りながら、「それは私のほんの一面」とかわした、あのしなやかな自信。私は、それを見習いたいと心から思いました。
容姿や年齢にかかわりなく、実力のある人はその能力によってのみ評価される、というのは理想ですが、現実はそうではありません。容姿差別、年齢差別はどこまでもついて回ります。そんなとき、ボイルさんのような、柳の枝のような弾力性、強靭性があれば、あのときの審査員や会場の観客のように、見下した者が自らの行いを恥じるような瞬間を感じることができるでしょう。
それは、全世界の人びとにとって、かすかな目覚めにすぎなかったかもしれませんが、何千万もの人がその瞬間同じような思いを抱いたというだけで、ボイルさんは稀有のスターになったと言うべきだと、私は信じています。
むかし日本のテレビで『スター誕生』というタレント発掘番組がありましたが、それと似た番組がイギリスにもあります。”Britain’s Got Talent”――タレント志望の素人が観客の入った会場で歌を披露し、その出来栄えを3人の審査員が評価するオーディション番組です。『スター誕生』でもそうでしたが、売りは審査員の辛口コメント。そのコメントが辛辣というか、悪辣に近い。とくに審査員長格のサイモン・コーウェル(Simon Cowell)というプロデューサーの批評が凄まじい。ときには人格否定のようなコメントが飛び出すことも。正直、そんなバッシング見たさに会場に行く人、テレビを見る人が少なくないようです。
4月この番組で、審査員の毒舌と視聴者の嘲笑にとって格好の獲物が登場しました。スコットランドのグラスゴーで開かれた地方オーディションでのことです。スーザン・ボイル(Susan Boyle)という47歳の女性が登場しました。ちょっと小太りの体型にボサッとした髪型、一度も手入れしたこともなさそうな太い眉、くぼんだ目にダンゴ鼻、そして野暮ったい服装と歩き方――演出でなければ、これほど「未来のスター」とかけ離れたイメージを具象化した本物を探してくるのは難しいと思わせるほどでした。
とうぜん審査員も会場も失笑をこらえます。歌を披露する前に審査員から一通りの質問が行われます。「夢は?――プロの歌手になることです」「目標の歌手は?――エレイン・ペイジ(イギリスの有名なミュージカル女優)」。ここで会場から非難ともとれるようなざわめきが起きます。
しかし、一番ざわめきが大きかった箇所は、「何歳ですか」と聞かれて、「47歳です」と答えた後のことです。その答えに、あのコーウェルが目を白黒させ、それに呼応するように会場が少しどよめきます。そんな会場の反応に挑むように、ボイルさんは腰に手を当てながら、お尻を不器用に左右に振り、こう言い放ちます。“That’s just one side of me.”(それは私のほんの一面)。その瞬間、会場がはじけます。応援の喝采ではなく、笑劇のときのばか笑いのように。
そんな雰囲気の中、ボイルさんが歌い始めます。選曲はミュージカル『レ・ミゼラブル』の”I Dreamed A Dream”。彼女が口を開いた瞬間、会場は静まり返り、最初の数小節を歌い上げたところで、猛烈な拍手と歓声が沸き起こります。その清麗な歌声は聴く者を圧倒しました。
当り前のことですが、容姿と能力はなんの関係もありません。しかし、現実の世界では、とくにショウ・ビジネスでは、そしてもっと言えば女性アーティストの世界では、容姿と歌唱力は不可分という「法則」が働きます。ボイルさんのパフォーマンスは、そんな「法則」の馬鹿らしさを、そして「法則」に囚われガチガチになった私たちのモノの見方を一陣の風のように吹き飛ばしてくれました。そんな爽快感、カタルシス(自己浄化)を味わわせてくれるからこそ、ボイルさんのパフォーマンスがインターネットの動画投稿サイトなどを通じて、わずか数日で世界中から3千万回もアクセスされたのでしょう。
私は、ボイルさんの歌の素晴らしさに感銘を受けましたが、それよりなにも一番気に入ったのは、実は今回のアップリフターに紹介したあの言葉を発した場面でした。嘲笑と侮蔑を覆い隠した顔つきの審査員と会場の参加者に向かって、ちょっとコミカルに腰を振りながら、「それは私のほんの一面」とかわした、あのしなやかな自信。私は、それを見習いたいと心から思いました。
容姿や年齢にかかわりなく、実力のある人はその能力によってのみ評価される、というのは理想ですが、現実はそうではありません。容姿差別、年齢差別はどこまでもついて回ります。そんなとき、ボイルさんのような、柳の枝のような弾力性、強靭性があれば、あのときの審査員や会場の観客のように、見下した者が自らの行いを恥じるような瞬間を感じることができるでしょう。
それは、全世界の人びとにとって、かすかな目覚めにすぎなかったかもしれませんが、何千万もの人がその瞬間同じような思いを抱いたというだけで、ボイルさんは稀有のスターになったと言うべきだと、私は信じています。
by homaranisto
| 2009-12-31 11:06
| アップリフター/Uplifters