アップリフターNo.3 |
元々はラテン語のフレーズです。格好いい紹介の仕方ですが、ラテン語が原文だと知ったのは、英語からです。ラテン語で”Carpe diem.”と言います。carpeの不定詞はcarpoで、英語に直訳するとpluckだそうです。pluckには「(花・果実を)摘む」という意味があります。最良のものを最良のときに手に入れるという感じが伝わってきます。
一方、英語訳で使われるseizeは「捕らえる」です。seizeの名詞はseizureで、この場合、法律用語の「押収」という意味も与えられます。こちらでは、しっかりと掴むというニュアンスが感じられます。
seizeの後に続く言葉はthe day。意味は「この日」。で合わせると、「この日を摘め」「この日を掴め」となります。普通の表現のように聞こえますが、seizeの持つ力強さやpluckが伝える瞬間の大切さがそこには内包されています。
実は、”Carpe diem.”はローマ時代の詩人ホラティウス(Horace)の詩に出てくる一節で、このあとに次の文章が続きます。
“Quam minimum credula postero.“ (Trust as little as possible in the future.)――「次の日に信を置いたりせずに」(小林標著『ラテン語の世界』、中公新書)。合わせれば、「この日を摘め、次の日に信を置いたりせずに」となります。
享楽的に聞こえなくもありません。しかし、その真に意味するところは、「いまを生きる」です。映画好きの方なら気付かれたでしょう。そうです、私がこの言葉に出会ったのは映画でした。いまから15年以上前の映画です。『いまを生きる』が邦題でした。原題は”Dead Poets Society”(死せる詩人の会)。題名に”Seize the day.”は出てきませんが、映画の中で主人公が教え子に向かってこう呼びかけます。
「この日を掴め。いまを生きろ、みんな。自分だけの人生を生きろ」
“Carpe diem! Seize the day, lads! Make your lives extraordinary!”
簡単に映画の紹介を。舞台は1950年代アメリカの有名私立高校。そこに型破りの文学担当の教師、ジョン・キーテイング(俳優はロビン・ウィリアムズ)がやってきます。規則に縛られた生活を強いられた新入生たちに、キーティングは文学を通して自由に生きること、いまの瞬間を真剣に楽しむことの大切さを伝えます。そのときに使われる言葉が「この日を掴め」です。その後の展開は映画に譲ります。エンディングは感動的です。実は個人的にもっとも好きな映画の一つです。
さらに蛇足としてつけ加えれば、私はこの映画を見てアメリカ詩に出会いました。ヘンリー・デイビッド・ソロー(Henry David Thoreau)、ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)、ロバート・フロスト(Robert Frost)などは、いまも好きな詩人です。
話が脱線しました。私が”Seize the day.”に惹かれるのは、それが計算された生き方の対極にあると思えるからです。人生の道筋を設計図のように描き上げて、その図面通りにいまを生きるのが、いま風のサクセス・ストーリーかもしれません。でも、そうでない生き方もあります。いま目の前にあるやりたいことを精一杯やる、将来はわからない。そういう生き方の中から、ふと未来が目の前に現れることがあります。
映画『いまを生きる』では、キーティング先生に触発されて、演劇好きの青年が父親の反対を押し切って地域の劇団で主役を演じます。しかし、「医者になれ」と言う父親は最後まで受け入れず、演劇への熱い思いと父親の命令との葛藤に苦しみ、ついに自ら死を選びます。
まわりを見渡せば、結末はこの映画ほど悲劇的ではないにしても、似たような話はあらゆるところにころがっています。
将来像をつねに見据えていまと格闘する生き方は立派です。でも、そうでない生き方も暖かく受け入れる余裕があっていい。そういう包容力が社会のダイナミズムを創り出すのではないでしょうか。教育改革論議を聞いて、思い出した言葉です。