Uplfters No.18 |
最近、書棚の整理をしていたら、10年ほども前にワシントンDCにあるホロコースト・ミュージアムを見学したときに、売店で買った絵はがきが出てきました。ホロコースト・ミュージアムはユダヤ人虐殺を記憶に残し続けるために、アメリカが国を挙げてつくった博物館です。よく憶えていませんが、その絵はがきは展示物の中にあったポスターを印刷したものだったと思います。
1994年に当時独裁政権だったハイチの安定化のために、国連が仲介して米軍中心の多国籍軍が派遣されました。ローレンス・ロックウッド(Lawrence Rockwood)大尉は、そのとき派遣された情報将校の一人です。大尉は、派遣の目的と自らの良心にしたがい、当時独裁下の刑務所内で行われていた人権侵害の数々を告発しました――「軍命」に反して。その結果、軍法会議にかけられます。一方で、多くの市民が軍法会議の期間中ロックウッド大尉を支援し、あるアーティストはポスターをデザインして支持を訴えました。
それが絵はがきの元となったポスターです。そこには、今号の言葉がデザインされています――”It is not enough to be compassionate. You must act.”(思いやりは、そう感じるだけでは不十分。行動で表そう)。カラフルな色使いで文字が躍るように自由な感じで描かれ、”YOU MUST ACT.”が他の文字よりも大きく太く、見る者の目に勢いよく飛び込んできます。
よく見ると、そのポスター絵はがきの右下に、”His Holiness, Tenzin Gyatso, Fourteenth Dalai Lama, 1992”と小さく記されています。法名テンジン・ギャツォ、ダライ・ラマ14世のことです。
compassionateの名詞形、compassionは日常訳としては「思いやり」ですが、仏教表現を使えば「慈悲」。この慈悲と愛情(compassion and love)は、ダライ・ラマの説話や演説の中で、繰り返し採り上げられるキーワードの一つです。それも”anger and hatred”(怒りと憎悪)と対の表現として。怒りは人を突き動かす巨大なパワーを秘めています。ときに社会を変える力となります。しかし、それはコントロールの効かない暴走車。自らもその下敷きになることが少なくありません。一方、慈悲は個人の発するエネルギーを制御することができます。怒りが無軌道で瞬発的だとすれば、慈悲は自制的で持続的な特性を有しています。
ダライ・ラマは、”You must act.”(行動で表そう)には二つの意味が込められていると言います。第1は、「怒りと憎悪」に支配されない自己コントロール力を身につけることです。めざすのは、「心の中の不満やいら立ちを乗り越えて、心を安らかにし、怒りを消し去るところにまですすむこと」(…to overcome the distortions and afflictions of your own mind, that is, in terms of calming and eventually dispelling anger.)。
そして、第2が社会的実践です。「世界の中に間違いを正さなければならないようなことがあれば、そのことに関わらなければなりません」(When something needs to be done in the world to rectify the wrongs, …one needs to be engaged, involved.)。
宗教的な装いを感じさせることや、とくに道徳的な雰囲気を醸し出すことは、私の本意ではありません。ただ、ダライ・ラマは宗教的な信念に基づいて「思いやり」を語ってくれますが、その信念はおよそ歴史によって審判済みの事実と言っていいと思うのです。怒りが猛烈な馬力を出して社会を変革したかと思うと、その怒りに呑み込まれて取り返しのつかない社会的悲劇をもたらした「史実」は、すぐにいくつも思い浮かびます。
「怒りを消し去るところにまですすむ」ことをダライ・ラマは語りますが、私自身を含めてすべての人がその境地に達することは、不可能なように見えます。しかし、人間がどうしても振り払うことのできない「怒りと憎悪」が熱暴走しないように、これもまた人間の本性である「慈悲と愛情」でクールダウンできるような社会の仕組みを築き上げていくことは不可能ではないはずです。
それが、山頂まで大石を際限なく運び上げ続けるような、ギリシャ神話に登場するシジフォスに与えられた難行と同じだとしても・・・。
これが、その絵葉書です。