For you, a thousand times over. |
率直な感想。カブール、革命、ソ連の侵攻、金持ちの息子と召使の子どもなど、興味をそそる素材とプロットで全体としてよくできていると思うが、なかには「それはないだろう」と感じるシーンが現れる。詳しい筋書きは映画でご覧いただくとして、たとえば主人公が成人後、単身タリバン支配のアフガニスタンに戻り、自分がともに少年時代を過ごした召使の子どもの息子(説明がややこしいが、その召使の子どもも成人して子をもうけている)を救い出す場面がある。そのとき、主人公はその子どものある勇敢な行動によって救われる。その展開が、私には安易なハリウッド仕立てに感じられ、興をそがれてしまった。
もうひとつは、タリバン政権下のアフガニスタンに潜入した主人公がスタジアムで行われた「姦通」を犯したとして男女一組が投石で殺される場面を目撃するシーン。この話は、タリバンの野蛮さを物語る好例として、よく持ち出されるもの。事実だろうと思う。ただ、主人公はソ連軍のアフガン侵入後、アメリカに亡命。映画では亡命後のアメリカ生活も描かれている。ことさらアメリカを美化しているわけでもないが、平穏でそれなりに豊かな生活を淡々と描いたあとに、先の場面を含めてタリバン支配下のおぞましい「現実」が目に飛び込んでくる。その対照的な描き方がやっぱりハリウッド的で、私は逆に感情移入できなかった。
しかし、そんな不満も最後の最後の1シーンで吹き飛んでしまう。主人公がアフガニスタンで助け出した召使の息子と、アメリカに戻ってきて凧あげをする場面。落ちた凧を、その息子のために拾いに行こうと走り出しながら、振り返って言う一言――「君のためなら千回でも」。ここで、涙が溢れた。もう一度見たい――そんな気持ちにさせてくれる見事な映画だ。
もう一回見る前に原作を読もうと思い買ってきた。”The Kite Runner”。作者はカレード・ホセイニ(Khaled Hosseini)。共産革命前の政権で父親が外交官をしていたことから、ソ連軍侵入後アメリカに亡命、現在は内科医として仕事をしている。これが処女作という。実は、映画の原題は、邦題と違って、この”The Kite Runner”。凧が小説の構成のカギとなる小道具なので、映画でも同じ題名をつけたのもよくわかる。だが、邦題の「君のためなら千回でも」の方が、映画としては注目効果は、はるかに高い。
小説も映画も、主題は「裏切り」「悔恨」「償い」。「君のためなら千回でも」はその主題の象徴的な言葉だ。小説では、”For you, a thousand times over.”と訳されている。もうひとつ、「償い」を表わす象徴的な言葉として登場するのが、”There is a way to be good again.”(もう一度いい人になれる道がある)
主題とは別に、この映画を見てハッとすることがある。アフガニスタンの人種差別が描かれているところだ。アフガニスタンの主要民族はパシュトゥーン族。他に少数民族がいろいろ存在するが、その一つがハザーラ族。日本人と同じモンゴロイド系で、映画では召使の親子がハザーラ族という設定だ。映画で容姿が違うと言って嫌がらせを受ける場面が登場する。小説では、そのあたりのことがもっと丁寧に描かれている。ハザーラ族が民族的、宗教的(ハザーラはシーア派)に差別を受けているということは知識として知っていたが、この映画のように視覚的に突きつけられるとインパクトが違う。
そんなこともあって、この映画はアフガニスタンでは上映禁止になっているという。この映画が、アフガニスタンにおける差別問題にも関心を寄せるきっかけになればと思う。
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