Uplifters No.14 |
「私は、再びロシナンテの肋を自分の踵に感じています。盾を携えた私は、再び旅に出ます」
いまから40年前、ボリビアの山中でゲリラ戦のさなか捕えられ処刑されたチェ・ゲバラの言葉です。キザですが、文句なしにかっこいい。
ゲバラはキューバ革命成功のあと、全世界の革命闘争を支援するため、仲間とともにアフリカのコンゴに向かいます(ボリビアに行くのはそのあとです)。そのとき盟友・カストロ首相に「別れの手紙」を書きます。こちらはゲバラがコンゴに飛び立ったあと、カストロ自身によって読み上げられたため、よく知られています。実は、「別れの手紙」を書いたあと、続けてゲバラは両親あてにも「遺書」をしたためます。その書き出しが冒頭の一文です。
わざわざ断る必要もありませんが、「ロシナンテ」とは、セルバンテスの作品、『ドン・キホーテ』に登場する主人公、ドン・キホーテが乗る老馬の名前です。セルバンテスの描いたドン・キホーテは中世の騎士物語を読みふけりすぎて、自分を高名な騎士と思い込み、従者サンチョ・パンサとともにロシナンテにまたがって旅に出ます。このため、英語でも日本語でも、「ドン・キホーテ」と言えば、理想を追い求めるあまり誇大妄想に陥りやすい人のことを指します。
ゲバラは、そのことを自虐とともに誇り高く受け止めます。無謀といえば、これほどの無謀はありません。わずかな手勢でゲリラ戦をしかけに出かけても現地の農民の支持がなければどうにもならないことは、常識として当たり前に理解できます。事実、ゲバラがボリビアで捕らえられたのは、助けたはずの農民の密告によってでした。でも、「常識」だけで現実は変わりません。「非常識」や理想を臆面もなく語る人がいてこそ、それもたくさんいてこそ、世の中は現実を少しずつ変える常識が働くようになります。
“And if it were said of us that we’re almost romantics, that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then a thousand and one times we have to answer that yes, we are.”
「もし私たちのことをほとんど空想主義者であり、救い難い理想主義者であり、できもしないことを考えていると言うなら、1001回でも言わなければならない。そう、その通りだと」
この通り、ゲバラは理想を臆面もなく語る人でした。しかし、ドン・キホーテは自分と理想を頭の中で同化するだけでしたが、ゲバラは行動によって理想との同化をはかろうとする人でした。ゲバラのめざした共産主義が地に堕ちても、いまもなおゲバラが多くの人に魅力的に映るのは、そのあたりに理由があるのでしょう。
最近、新聞にゲバラがキューバ代表団を率いて1959年に日本を公式訪問した際、被爆地・広島をこっそり訪問したとの記事が載りました。記事は当時副団長だった人の話として紹介しています。それによると、広島を訪問したいという希望を日本政府が許可しなかったので、大阪滞在中にゲバラと副団長2人だけでオリーブグリーンの軍服姿のまま夜行列車に飛び乗って広島に向かったといいます。
『チェ・ゲバラ伝』(三好徹著、原書房)を読むと、飛行機で広島に行ったと書かれています。どちらの方が正しいのか分りませんが、軍服姿のまま夜行列車に飛び乗ったストーリーの方が、ゲバラらしくてワクワクするのですが・・・。
チェ・ゲバラの言葉と生涯を豊富な写真とともに紹介しているいい本があります。『チェ・ゲバラ――フォト・バイオグラフィー』(原書房)。原本は英語ですので、日英双方で読みたい方はこちらもどうぞ(”The Che Handbook”)。なお、冒頭の日本語訳は、『チェ・ゲバラの遙かな旅』(戸井十月著、集英社文庫)から引用させていただきました。